ジプシージャズの現在形|ストケロ・ローゼンバーグの生い立ちから現在まで

ジプシージャズの現在形|ストケロ・ローゼンバーグの生い立ちから現在まで ジプシー

ジプシージャズという言葉を聞いたとき、多くの人が思い浮かべるのはただ一人、あの伝説的ギタリスト――ジャンゴ・ラインハルトかもしれない。だが、その系譜は1940年代で止まってはいない。現代においても、その炎を絶やさず、むしろ新しい形で燃やし続けている人物がいる。その名が、ストケロ・ローゼンバーグだ。

彼は単なる“ジャンゴの再現者”ではない。コピーの精度や技巧の速さを競う存在でもない。ストケロのギターは、驚くほど自然に歌い、旋律はまるで人間の声のように息をしている。ジプシージャズの伝統的な語法を守りながら、そこにモダンジャズの響きやブルース的ニュアンスを織り込み、古典を現在進行形へと更新してきた存在だ。

その活動は、家族と結成したローゼンバーグ・トリオでの成功にとどまらない。国際フェスティバルでの評価、テレビ番組出演、文化的な受賞歴、そしてアコースティック界の巨匠トミー・エマニュエルとの共演など、彼の歩みはジプシージャズの枠を越えて広がっている。さらに一族には天才肌のジミー・ローゼンバーグや実弟モーゼスの存在があり、彼は常に“血と音楽の中心軸”として立ち続けてきた。

では、ストケロとはいったい何者なのか。シンティの家に生まれ、ジャンゴを吸い込み、伝統を背負い、それでもなお独自の声を探し続けた一人のギタリスト。その生い立ちから現在に至るまでを辿れば、ジプシージャズという音楽がどのように現代へ受け継がれてきたのか、その答えが見えてくるはずだ。

ここから、物語を始めよう。

  1. 現代ジプシージャズの象徴、その名はストケロ
    1. なぜ彼は“最高峰”と呼ばれるのか
    2. 伝統の再現者ではなく“更新者”
    3. 世界が注目する存在へ
  2. シンティ一家に生まれて
    1. オランダのシンティ音楽家系
    2. 学校より先に覚えた“ギターという言語”
    3. 移動生活と家族バンド文化
  3. 最大の影響 ― ジャンゴ・ラインハルトという存在
    1. コピー少年から始まった物語
    2. 再現と進化のはざまで
    3. ジャンゴの影から抜け出す瞬間
  4. ローゼンバーグ・トリオ誕生と世界的評価
    1. 家族で鳴らすという必然
    2. 世界へ広がる音
    3. 受賞と文化的評価
  5. ローゼンバーグ一族という系譜
    1. 血縁が生む“音楽的必然”
    2. 天才肌 ― ジミー・ローゼンバーグとの対比
    3. 実弟モーゼス・ローゼンバーグという存在
    4. 一族が象徴するもの
  6. シンティ・ネットワークと欧州ジプシージャズ界
    1. フランスを中心とした“横のつながり”
    2. 精神的支柱たち
    3. 比較され続ける中で
  7. 世界へ開いた扉 ― ジャンルを越えた共演
    1. アコースティック界との接続
    2. 世代をつなぐ存在 ― ジョスコ・ステファンとの関係
    3. モダンジャズとブルースの吸収
  8. 愛機と奏法の秘密
    1. セルマー/マカフェリという象徴
    2. 右手がすべてを決める
    3. “歌うトーン”の正体
  9. 継承者から“現在形”へ
    1. 伝統の番人では終わらない
    2. 文化的存在としての評価
    3. 次世代への橋渡し
    4. なぜ“現在形”なのか
  10. まとめ ― ストケロは何を体現しているのか

現代ジプシージャズの象徴、その名はストケロ

なぜ彼は“最高峰”と呼ばれるのか

ジプシージャズの世界には、優れたギタリストが数多く存在する。だがその中で、世代や国境を越えて名前が挙がる存在となると限られてくる。その中心にいるのが、ストケロ・ローゼンバーグだ。

彼の評価は、単なる技巧の高さによるものではない。もちろんテクニックは圧倒的だ。速いパッセージでも音が潰れず、強弱のコントロールは完璧に近い。しかしそれ以上に語られるのは、“音が歌っている”という点だ。旋律がまっすぐに立ち上がり、余韻が柔らかく空間に溶けていく。そのトーンは、派手さではなく説得力で聴き手を包み込む。

ジプシージャズは、ともすれば「超絶技巧の音楽」と誤解されることがある。だがストケロの演奏を聴くと、それが旋律の音楽であり、感情の音楽であることが分かる。だからこそ彼は、同業のギタリストからも、ジャズミュージシャンからも、そしてアコースティックギター界の巨匠たちからも一目置かれている。

伝統の再現者ではなく“更新者”

多くのプレイヤーが、ジャンゴ・ラインハルトのフレーズを研究し、その語法を再現する。しかしストケロの場合、それは出発点にすぎなかった。彼はジャンゴを深く理解しながらも、そのコピーに甘んじることはなかった。モダンジャズの響きを吸収し、コードのテンションやリズムの解釈を少しずつ広げていくことで、伝統を“保存”するのではなく“更新”していったのである。

この姿勢が、彼を現代の象徴へと押し上げた。古典的なレパートリーを演奏しても、どこか今の空気を感じさせる。それはブルースの世界でいえばB.B.キングや、ロックにおけるエリック・クラプトンのような立ち位置に近い。ジャンルそのものを背負いながらも、時代とともに呼吸している存在だ。

世界が注目する存在へ

家族と結成したローゼンバーグ・トリオは、欧州のジャズフェスティバルで高い評価を受け、テレビ番組や国際イベントにも多数出演してきた。文化的功績としての表彰や受賞歴もあり、彼は単なる“ギターの達人”ではなく、ジプシージャズを代表する文化的存在として扱われている。

さらに近年では、アコースティック界の巨匠トミー・エマニュエルとの共演やツアーを通じ、ジプシージャズをより広いギター界へと橋渡ししている。その姿は、閉じた伝統の守り手ではなく、開かれた現在形の表現者だ。

だからこそ今、多くのギタリストが彼を研究し、フレーズだけでなく“歌い方”を学ぼうとしている。ジプシージャズが過去の様式ではなく、現在も息づく音楽であること。その事実を体現している人物こそが、ストケロ・ローゼンバーグなのだ。

シンティ一家に生まれて

オランダのシンティ音楽家系

ストケロ・ローゼンバーグは1968年、オランダに暮らすシンティ(ロマの一派)一家に生まれた。彼にとって音楽は“選択肢”ではなかった。空気のようにそこにあり、生活と切り離せないものだった。

シンティの文化では、音楽は娯楽であると同時に共同体の言語でもある。祝い事、集まり、日常の時間。その中心に必ずギターがあった。家族が弾き、親戚が弾き、子どもたちはそれを当たり前のように吸収していく。五線譜よりも耳が先に育ち、理論よりも感覚が優先される世界だ。

ストケロも例外ではなかった。彼がギターを手にしたのは幼少期。周囲には常にプロ顔負けの演奏をする大人たちがいた。つまり彼の“基準”は、最初から高かったのである。

学校より先に覚えた“ギターという言語”

一般的な音楽教育とは違い、シンティの世界では演奏は口伝だ。フレーズは教科書ではなく、目と耳から盗む。ストケロもまた、父や親戚の演奏を見つめながら、自然と右手のフォームやコードの押さえ方を覚えていった。

それは訓練というより、生活の延長だった。遊び半分で弾き始めたフレーズが、やがて体の一部になる。リズムは理屈ではなく体で理解される。だから彼の演奏には、どこか言葉のような自然さがある。フレーズが“並んでいる”のではなく、“話している”ように聞こえるのは、この環境で育ったからかもしれない。

移動生活と家族バンド文化

シンティ文化は、長い歴史の中で移動とともにあった。完全な遊牧ではないにせよ、常に外部社会との距離を保ちながら共同体を守る生活様式が続いてきた。そこでは家族の結束が何より重要だ。

のちに結成されるローゼンバーグ・トリオが“家族バンド”であることは偶然ではない。兄モゼ、従兄ノニー、そして後に注目される一族の才能――その土台には、血縁で結ばれた音楽文化があった。

この環境で育ったことが、ストケロの強みでもあり、ある意味では重圧でもあった。なぜなら彼は、幼い頃から“ジャンゴの伝統を継ぐ一族”の一員として見られていたからだ。

その影は、やがて彼を大きく導くことになる。次の章では、その存在――ジャンゴ・ラインハルトとの出会いと影響について掘り下げていく。

最大の影響 ― ジャンゴ・ラインハルトという存在

コピー少年から始まった物語

シンティの家に生まれた少年が、やがて向き合うことになる“絶対的存在”。それがジャンゴ・ラインハルトだった。ストケロ・ローゼンバーグにとってジャンゴは、遠い歴史上の人物ではない。家族の中で語られ、レコードが回り、常に耳に流れている“身内の伝説”のような存在だった。

幼いストケロは、ジャンゴのソロをそのままコピーすることから音楽人生を始めた。フレーズを丸ごと覚え、ピッキングのニュアンスまで再現しようとする。その精度は驚異的で、若い頃から“ジャンゴそっくり”と称されるほどだった。

だが、ここにひとつの問題があった。再現が完璧であるほど、“ジャンゴの影”は濃くなる。称賛される一方で、それは同時に比較の対象にされ続けるということでもあった。

再現と進化のはざまで

ジプシージャズの世界では、ジャンゴは神格化された存在だ。だからこそ多くの奏者が彼を目標とする。しかしストケロはある段階で気づく。完璧なコピーでは、自分の声にはならないということに。

彼の演奏が変化し始めたのは、和声の扱いとフレージングの流れだった。ジャンゴの語法を土台にしながら、モダンジャズのテンションや、より滑らかなラインを取り入れる。わずかなリズムのズラしや間の取り方が、伝統の内側に新しい空気を入れていった。

この“微細な違い”こそが、ストケロを単なる継承者から“現在形の表現者”へと押し上げた。

ジャンゴの影から抜け出す瞬間

彼が完全にジャンゴの模倣から抜け出したわけではない。むしろ、ジャンゴは今も彼の中心にある。ただしそれは、追いかける対象ではなく、内側に根付いた土台となった。

ブルース界でいえばB.B.キングが伝統を背負いながらも自分の声を持っていたように。ロックでいえばエリック・クラプトンがブルースを継承しながら時代を越えた存在になったように。ストケロもまた、ジャンゴを“演奏する人”ではなく、“内面化した人”へと変わっていった。

その結果、彼のギターはジャンゴの言語を話しながら、ストケロの感情を語るようになる。そこにこそ、現代最高峰と呼ばれる理由がある。

だが物語はまだ途中だ。彼が本当の意味で世界に名を広めるきっかけとなったのは、家族と結成したひとつのバンドだった。

次章では、ローゼンバーグ・トリオ誕生の背景と、その成功の理由に迫る。

ローゼンバーグ・トリオ誕生と世界的評価

家族で鳴らすという必然

ストケロ・ローゼンバーグの物語において、決定的な転機となったのが、ローゼンバーグ・トリオの結成だ。
メンバーは、リードのストケロ、リズムギターのヌーシェ・ローゼンバーグ、そして従兄ノニー・ローゼンバーグ(ベース)。つまり完全なファミリーバンドである。

ジプシージャズでは、リードとリズムの関係性が極めて重要だ。いわゆる“ラ・ポンプ”と呼ばれる独特のリズムをどれだけ安定して刻めるかが、演奏全体の質を決める。その点でヌーシェのリズムは鉄壁だった。強く、しかし重すぎない。音の密度を保ちつつ、ソロを押し上げるグルーヴ。そこにノニーの安定したベースが加わることで、ストケロは自由に歌うことができた。

血縁であることの強みは、言葉の要らない呼吸にある。アイコンタクトすら必要ない瞬間がある。フレーズの終わりでわずかに間を取れば、リズムは自然と追従する。まるで長年同じ空気を吸ってきた家族だからこその連帯感だ。

世界へ広がる音

トリオは1980年代後半から頭角を現し、ヨーロッパ各地のジャズフェスティバルで高い評価を受けるようになる。ジプシージャズという特化したジャンルでありながら、その完成度の高さは一般のジャズファンにも強い印象を残した。

テレビ番組への出演や国際的なツアーも重なり、彼らの名前は徐々に世界へと広がっていく。演奏は伝統に忠実でありながら、どこか洗練されている。そのバランスが、閉じたコミュニティの音楽を“外の世界”へと押し出す力になった。

受賞と文化的評価

オランダ国内では、トリオは単なる人気バンドという枠を超え、文化的価値を持つ存在として認識されるようになる。音楽賞の受賞や公式な場での演奏機会は、ジプシージャズが一部の愛好家だけの音楽ではないことを示していた。

興味深いのは、彼らの音楽が“古い”と見なされなかった点だ。むしろ伝統の中にある普遍性が評価された。だからこそストケロは、過去の模倣者ではなく、現代の代表者として語られるようになった。

しかしローゼンバーグ・トリオの成功は、同時に一族全体への注目を高めることになる。従兄のジミー・ローゼンバーグや、実弟モーゼスの存在もまた、シンティ界の中で語られるようになっていく。

次章では、この“ローゼンバーグ一族”という系譜に焦点を当てていく。

ローゼンバーグ一族という系譜

血縁が生む“音楽的必然”

ストケロ・ローゼンバーグを語るとき、彼一人だけを切り取ることはできない。シンティ社会では、音楽は個人の所有物ではなく、血と文化の中で共有されるものだ。ローゼンバーグ家も例外ではない。

ローゼンバーグ・トリオのメンバーであるヌーシェとノニーは兄弟、ストケロはいとこ。その関係性は単なる家族構成以上の意味を持つ。幼い頃から同じ場で演奏し、同じレコードを聴き、同じ価値観の中で育った。だからこそ、彼らの音には“言葉以前の理解”がある。

この一族の中で、ストケロは“中心軸”の存在へと成長していく。しかし同時に、その周囲にも強烈な個性が現れていった。

天才肌 ― ジミー・ローゼンバーグとの対比

一族の中で特に語られるのが、ジミー・ローゼンバーグの存在だ。若くして驚異的な才能を示し、“ジャンゴの再来”とも呼ばれた天才。スピード感と直感的なフレージングは、まさに野生の輝きを放っていた。

ストケロとジミーは同世代であり、しばしば比較される存在でもあった。だがそのスタイルは対照的だ。ジミーが爆発的な感性で弾くのに対し、ストケロは構築的で歌心を重視する。どちらが優れているという話ではない。アプローチの違いが、ローゼンバーグ一族の奥行きを物語っている。

実弟モーゼス・ローゼンバーグという存在

ストケロの弟、モーゼス・ローゼンバーグもまた優れたギタリストだ。兄とは少し異なる方向性を持ち、よりモダン寄りの感覚や独自のタッチを持つと評されることもある。

兄が伝統の軸を担い、弟が別の角度から広げていく。この関係性は、家族内での影響と刺激を生み続けてきた。

一族が象徴するもの

ローゼンバーグ家は、単なる音楽一家ではない。彼らは“ジャンゴの系譜を現代に伝える血筋”として見られている。それは誇りであり、同時に重圧でもある。

しかしストケロは、その重圧を背負いながらも、自分自身の音を磨き続けた。血縁の中で育ちながら、決して埋もれなかった。それどころか一族全体を代表する存在へと成長した。

だが物語は一族の内部だけに留まらない。ジプシージャズの世界は、欧州各地へと広がる横のネットワークを持っている。

次章では、ストケロを取り巻くシンティ・ネットワーク――欧州ジプシージャズ界とのつながりに迫る。

シンティ・ネットワークと欧州ジプシージャズ界

フランスを中心とした“横のつながり”

ジプシージャズの世界は、ひとつの家系だけで完結しているわけではない。むしろその魅力は、欧州各地に広がるシンティたちの横のネットワークにある。オランダのローゼンバーグ家、フランスのラグレーン家やデバール家、ウィンタースタイン一族――それぞれが独自の個性を持ちながら、同じジャンゴの言語を共有している。

その中で比較対象としてよく挙げられるのが、ビレリ・ラグレーンだ。ビレリはジャンゴ・スタイルから出発しつつ、フュージョンやモダンジャズへ大胆に舵を切った。一方、ストケロはより伝統軸を守りながら洗練させる方向を選んだ。二人は“どこまで外へ出るか”という点で対照的だが、互いの存在が刺激になっていることは間違いない。

精神的支柱たち

フランスの重鎮であるチャボロ・シュミットは、伝統的なシンティ・スタイルの象徴的存在だ。その深いグルーヴと円熟したフレーズは、多くの若手に影響を与えてきた。ストケロもまた、そうした“長老世代”の存在から文化的な影響を受けている。

さらにロマーヌのように、ジプシージャズをよりジャズ寄りに解釈する奏者もいるし、モレノ・ウィンタースタインやアンジェロ・デバールのように、強い歌心と個性を持つプレイヤーもいる。ニニン・ガルシアもその流れに位置づけられる存在だ。

こうした奏者たちは競争相手であると同時に、文化を共有する仲間でもある。フェスティバルやセッションの場では互いに刺激を与え合いながら、それぞれのスタイルを磨いていく。

比較され続ける中で

この欧州ネットワークの中で、ストケロは常に比較の対象となってきた。“伝統の正統派”“最も歌うギタリスト”“ジャンゴの継承者”――評価はさまざまだ。

だが重要なのは、彼がこのネットワークの中で孤立していないことだ。むしろその中心のひとつとして機能している。伝統を守りながら、若い世代とも交流し、フェスティバルの顔として登場する。その姿は、文化の“現在進行形”を象徴している。

そしてこのネットワークは、やがてさらに外側へと広がっていく。ジプシージャズを越え、アコースティック界や世界的ギターシーンとの接続が生まれる。

次章では、その“外との接点”――ジャンルを越えた共演について掘り下げていく。

世界へ開いた扉 ― ジャンルを越えた共演

アコースティック界との接続

ジプシージャズは強い様式を持つ音楽だ。だからこそ、ともすれば“閉じた世界”に見えることもある。しかしストケロ・ローゼンバーグは、その枠を越えて外の世界と積極的に接続してきた。

象徴的なのが、トミー・エマニュエルとの共演だ。フィンガースタイルの巨匠として世界を巡るトミーと、ピックによるジプシースタイルを極めたストケロ。アプローチは異なるが、どちらも“歌うギター”という点で共通している。

共演の場で印象的なのは、スタイルの違いが対立にならないことだ。むしろ互いの個性を引き立て合う。トミーのオープンでダイナミックな表現に対し、ストケロは流麗で洗練された旋律を重ねる。そこにはジャンルの壁というより、“ギターという楽器の可能性”そのものが広がっている。

世代をつなぐ存在 ― ジョスコ・ステファンとの関係

ドイツ出身のジョスコ・ステファンは、若い世代を代表するジプシージャズ・ギタリストだ。伝統を踏まえつつ、よりモダンで洗練されたアプローチを見せる彼の存在は、ストケロ以降の世代を象徴している。

この世代関係は興味深い。ストケロが“ジャンゴの影”から自分の声を確立した世代だとすれば、ジョスコは“ストケロの時代を前提にして出発する世代”とも言える。つまり、継承の連鎖はすでに次の段階へ入っている。

その中でストケロは、過去と未来をつなぐ中間軸のような位置にいる。若手から尊敬され、同世代からは頂点と見なされる。その立ち位置は、ブルース界で言えばB.B.キングが果たした役割に近い。伝統を背負いながら、時代を橋渡しする存在だ。

モダンジャズとブルースの吸収

ストケロの演奏を注意深く聴くと、コード選択やフレーズの終止感に、モダンジャズ的な洗練がある。完全なビバップでもなければ、純粋なジャンゴコピーでもない。そこには微妙なテンション感や、ブルースの粘りが混ざっている。

それはロック界でエリック・クラプトンがブルースを咀嚼しながら自らの声を作った過程と重なる部分もある。ジャンルの文脈を理解しつつ、自分の解釈を重ねていく姿勢だ。

だからこそストケロは、“ジプシージャズの専門家”に留まらない。アコースティックギター全体の文脈でも語られる存在になっている。

伝統を守るだけでは音楽は生き残れない。だが伝統を手放せば、それは別の何かになってしまう。その絶妙なバランスの上に立っているからこそ、ストケロは“現在形”なのだ。

次章では、その音を支える具体的な要素――愛機と奏法の秘密に迫る。

愛機と奏法の秘密

セルマー/マカフェリという象徴

ストケロ・ローゼンバーグの音を語るとき、まず外せないのがセルマー/マカフェリ・スタイルのギターだ。ジャンゴ・ラインハルトの時代から受け継がれてきたその形状は、ジプシージャズという音楽そのものを象徴している。

小ぶりなボディ、独特のサウンドホール、強いアタック感と乾いた倍音。その特徴は、ストケロの“歌う旋律”を支える重要な要素だ。ただし重要なのは、楽器そのものよりも「どう鳴らすか」にある。

ストケロは、ただクラシックなモデルを選ぶのではなく、自身のタッチに合った個体や仕様を選び、音の立ち上がりと余韻のバランスを細かく追い込んでいる。Dupontなどの高品質な製作家のギターを使用している点も、その音作りへのこだわりを示している。

右手がすべてを決める

ジプシージャズにおいて最も重要なのは、実は右手だ。ストケロのピッキングは、いわゆる“レストストローク”を基盤にしている。ピックを振り抜いたあと、隣の弦に触れて止めることで、音に芯が生まれる。

だがそれだけでは説明しきれない。彼の右手は、常に“歌わせる”ことを前提に動いている。強く弾くだけでなく、微妙な角度の違いでニュアンスを変える。速いパッセージでも、ただ流れるのではなく、一音一音が立ち上がる。

多くの奏者がフレーズを真似しようとするが、真似しきれないのはこの右手の質感だ。力任せではなく、しかし弱くもない。そこには長年染み込んだ身体的記憶がある。

“歌うトーン”の正体

ストケロの演奏を聴いていると、不思議なことにギターの音が声のように感じられる瞬間がある。これは単なる比喩ではない。彼は旋律の呼吸を明確に意識している。

フレーズの途中でほんのわずかに間を取る。終止で余韻を長く保つ。必要以上に音を詰め込まない。この“引き算”があるからこそ、音は語りかけるように聞こえる。

技術的には高度でありながら、決して誇示的ではない。その姿勢が、彼を“技巧派”というカテゴリーから解放している。

ストケロの愛機や奏法は、単なる道具や技術ではない。それは彼の文化、環境、そしてジャンゴから受け継いだ言語が結晶化したものだ。

そして今、その音はどこへ向かっているのか。

次章では、継承者としての彼が“現在形”として果たしている役割に迫っていく。

継承者から“現在形”へ

伝統の番人では終わらない

ストケロ・ローゼンバーグは、しばしば“ジャンゴの正統継承者”と呼ばれる。確かにその演奏には、ジャンゴ・ラインハルトの語法が深く根付いている。しかし彼が象徴的なのは、守ることにとどまらなかった点にある。

多くの伝統音楽は、純度を守ることに重心を置く。だがストケロは、わずかに、しかし確実に更新していった。テンションの扱い、フレーズの滑らかさ、コード感の広がり。その変化は派手ではないが、長年聴いていると確実に分かる“進化”だ。

つまり彼は、保存者ではなく、進行形の担い手だった。

文化的存在としての評価

ローゼンバーグ・トリオの成功以降、彼は単なるギタリストではなく“文化的存在”として扱われるようになった。テレビ番組出演、国際フェスティバルへの招待、音楽賞の受賞。オランダ国内では伝統音楽を代表する人物の一人として認識されている。

ジプシージャズは一時代の流行ではない。それを証明する存在として、彼は機能してきた。ジャンルの“顔”として紹介される場面も多く、その姿はブルースにおけるB.B.キングや、ロックにおけるエリック・クラプトンの立ち位置と重なる。

次世代への橋渡し

若い世代のジプシージャズ奏者――たとえばジョスコ・ステファンのようなプレイヤーたちは、ジャンゴだけでなく、ストケロの存在を前提に音楽を始めている。

それは大きな違いだ。かつてのストケロが“ジャンゴからどう離れるか”を模索したのに対し、次世代は“ストケロの時代を踏まえてどう広げるか”を考えている。

つまり彼は、過去と未来の間に立つ存在になった。

なぜ“現在形”なのか

伝統を深く理解しながら、閉じない。家族と一族を背負いながら、外へ広げる。ジャンルの純度を保ちながら、モダンやブルースの語法を取り入れる。

そのすべてが同時進行で行われているからこそ、ストケロは“現在形”なのだ。

ジプシージャズは博物館の音楽ではない。今もフェスティバルで鳴り、若いギタリストが挑戦し、観客が熱狂する生きた文化である。その中心で、静かに、しかし確実に旋律を紡ぎ続けている人物がいる。

それがストケロ・ローゼンバーグである。

まとめ ― ストケロは何を体現しているのか

ジプシージャズという音楽は、しばしば一人の名前と結びつけて語られる。もちろんその中心にはジャンゴ・ラインハルトがいる。だが、音楽が本当に生きているかどうかは、“今”を生きる象徴がいるかどうかで決まる。

ストケロ・ローゼンバーグは、その問いに対するひとつの答えだ。

シンティ一家に生まれ、ジャンゴの言語を吸収し、家族とともにローゼンバーグ・トリオを築き上げ、欧州のネットワークと結びつき、さらにトミー・エマニュエルのような世界的プレイヤーとも共演してきた。その歩みは、伝統を保存する物語ではなく、伝統を呼吸させ続ける物語だった。

彼のギターは技巧で驚かせるよりも、旋律で納得させる。速さよりも“歌心”が先に立つ。その姿勢は、ブルース界のB.B.キングや、ロック界のエリック・クラプトンのように、ジャンルの顔として長く立ち続ける人物に通じるものがある。

そして忘れてはならないのは、彼が一族とネットワークの中にいる存在であることだ。ローゼンバーグ家という血筋、欧州シンティの横のつながり、次世代のプレイヤーたち。そのすべてが交差する位置に、ストケロは立っている。

ジプシージャズは終わらない。ジャンゴの後も、そしてストケロの時代の先も、きっと続いていく。だが少なくとも今この瞬間、世界が「ジプシージャズの現在」を問うなら、その中心にいるのは彼だと言っていいだろう。

静かに、確実に、旋律を紡ぎ続ける男――
ストケロ・ローゼンバーグ。

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